同じ星の下1
もしこのまま死んだら、菅野の中で俺はそれなりの記憶として残るんだろうか。
せいぜい生意気な部下だったな、とか。
ようやく嫌な過去から解放されてやれやれだな、とか。
それでもまあ、最期は上司を庇って殉職したんだから立派なもんだ、くらいは思ってくれるだろうか。
二階級特進しても菅野と同じ警部か。死んでもあいつの上には行けないらしい。
……その前に、勤務時間外に起きたことだから殉職ではないのか。
――クソ。こんなことなら、全部打ち明けていれば良かった。
やたら白い無機質な天井と、点滴。薬品の匂い。現実味のある光景に、そこが天国でも地獄でもないこの世なのだと理解した。ゆっくり首を回して隣に座っている人物の顔を確かめる。
「うっ、うっ、野田さぁん」
「島村かよ」
ガッカリ感が半端じゃない。鼻水を垂らして泣きべそをかいている島村は、見ているだけでどっと疲れが出るほど嘆かわしい。
「……今、何時」
「夕方の六時です。丸一日、眠ってました」
「一日か」
「出血はひどかったんですけど、ギリギリ内臓をかわしてたんでそれほど大事には至らなかったようで。それより過労ですって。一週間も休んでたのになんで疲れてんすか」
「てめぇ先輩を馬鹿にするのか」
「ちちち違いますよっ」
笑ったら脇腹に響いた。
「ついさっきまで、野田さんのご両親がいらしてたんですよ。お母さん面白いですね。『も~、この子ったらこんな時まで眠りこけて、どこまでも寝坊助なんだから』って言って帰って行きました」
ティッシュペーパーで鼻をかんだ島村は、目尻に少しだけ涙を残したまま笑った。
「目が覚めて良かったです。野田さんがいなくなったらと思うと僕、心細くて」
「……お前が言うな」
「え? なんですか?」
「なんでもない。……岡本勇斗って男は連行されたの?」
「はい。菅野さんから連絡を受けて現場に行った時にちょうど救急車が到着して、僕は菅野さんに頼まれて野田さんに付添い、岡本は菅野さんが自分で署に連れて行きました。聴取も菅野さんがして、留置場に入れてはいるんですが……」
「が?」
「野田さんが目を覚ましたら『どうしたい?』って聞いてくれって」
「釈放して」
「送検しないんですか」
勇斗がここまで来てしまったのは、俺のあとをつけたからだ。俺が岡本家を訪れたことで勇斗を少なからず刺激したのは事実。多少の責任は感じるし、何より一番気の毒なのは両親である。既に連絡はしてあるだろうから、かなりショックを受けているに違いない。俺を刺した時の勇斗は興奮状態にあったし、冷静を取り戻した今は起訴より傷付いた両親の姿を見せるのが一番良い薬になるはずだ。
「菅野さんも分かってると思うから」
「分かりました。伝えておきます」
「菅野さんは……」
「最近、忙しいみたいで。野田さんが目を覚ましたら連絡しろと言われたくらいです」
ということは、来ないのだろう。別に来て欲しいわけではないが、所詮その程度かと改めて悟ると、やはり自分の気持ちは心の奥にしまったまま離れるのが良い。
「島村ぁ、頑張って警部くらいにはなれよ」
「なんです、いきなり」
「俺も警部補くらい、なっとけばよかったなぁ」
それから一週間ほど入院したが、やはり菅野は一度も来なかった。病室に訪れたのは島村と大沢さん、なぜかバーのマスター。マスターは最近、俺と菅野が店に現れないのを寂しく思ったらしく、菅野に連絡を取ったところ俺が入院していると聞いた、とのことだ。プライベートでも胡散臭い笑顔だが、なんだかんだでマスターには地味に世話になっている。退院したらまた店に寄ると言ったら、菅野と二人で来てね、なんて能天気なことを言っていた。
あと、驚いたのは岡本晴斗の両親がわざわざ京都から来てくれたことだ。
土下座する勢いで謝罪されて、思わずこっちがベッドから下りて膝をつきそうになった。済まなかったと涙を流す姿は本当に痛ましかったが、別れ際は「やっと家族が立ち直る機会ができた」と笑ったので、俺が刺されたのも無駄ではなさそうだ。
「忘れ物ないの? 洗濯物はこれで全部?」
退院の日も朝から現れたのは母親である。体力回復のためにここぞとばかりにダラけたおかげで傷の治りも順調で貧血も見られない。……にも関わらず、体が怠くて仕方がない。せっせと病室の掃除をしている母親の傍らで、俺は名残惜しくベッドに横たわっていた。
「ちょっと瑞樹、もう良くなったんだからシャキッとしなさい、シャキッと!」
「ギリギリまでダラダラさせてくれよ」
「もー、わたし、いつまで息子の面倒見なきゃいけないのかしら。早くお嫁さんもらってちょうだい」
それは無理な頼みである。
「そのことなんだけどさ……」
「えっ! なになに!?」
目を輝かせて食い付いてくる母親の顔には「彼女を紹介してくれるの?」と書かれている。期待が重すぎて話す気が失せた。
「彼女はいないから」
「なーんだ」
「だけど、近々話すよ」
「何を?」
「ヒミツ」
母親は「気持ち悪っ」と身震いしながら花瓶を取り、病室の扉を開けた。直後に大きな影に覆われた母親は、喉を反らせて見上げた。
「あらっ、男前。どちら様でしょう?」
不審に思い、体を起こしてその正体を確認した。
「申し遅れました。野田くんと一緒に働かせていただいております、北署の菅野と申します」
「まあ~、息子がいつもお世話になっておりますぅ」
「菅野さん!?」
菅野は病室を見渡し、「今から退院するのか」と鼻をかいた。おもむろに熨斗袋を差し出されて躊躇したら、「肉を食って体力つけ直せ」と菅野らしい言葉を加えられた。「ありがとうございます」と先に頭を下げたのは母親だった。
「少し彼をお借りしてもよろしいでしょうか」
「ええ、どうぞいくらでも。じゃ、瑞樹、先に帰るわね。では失礼します~」
賑やかに母親が病室を出ていくと俺と菅野だけが残され、途端に緊張で体が強張る。ベッドを軋ませて腰を下ろす菅野に肩を窄めた。座ると目線の位置が変わらない。俺を見つめる菅野の目は心情を悟らせないのに、俺はまるで落ち着きがない。ほんの一瞬目を逸らした隙に腕を引かれ、危うく唇が重なりそうになったのを、顔を背けて拒んだ。
「見られたらまずい」
「構わんだろう。今は二人だ」
「……菅野さんとはもうしません」
それでも強引にキスされる。むやみに押し付けられて息苦しさに口を開く。「もうしない」と言いながら簡単に許してしまう俺は、なんて意志の弱い人間だ。体を離すと俺の複雑な心中など見向きもせずに「上司」に戻った。
「いつまでもゴロゴロしてねぇで、さっさと戻ってこい。仕事が山積みなんだよ」
「島村がいるでしょう。あいつ、どんくさいけどコツコツ片付けますから任せときゃ大丈夫です」
「戻らねぇみたいな言い方すんな」
「……岡本勇斗はどうなりましたか」
「京都に戻った。お前をつければ俺に会えると思ったらしい。俺と晴斗の関係を直接確かめたかったんだと。刃物は脅すために持っていただけで、刺すつもりはなかったらしい。俺の顔を見た途端に頭に血が昇ったんだろ」
「再犯はないですかね」
「ねぇだろ。刺すつもりがなくても刃物を人に向けた時点で犯罪だと言ったら、そんだけでションボリしやがった」
普段なら分かり切っていることでも、ほんの少し我を失っただけでそんな簡単なことも考えつかなくなる。理性というのは本当に脆弱なものである。
「……勇斗は晴斗さんに似てるんですか?」
「面影はあるけどな。あんま似てねぇわ。晴斗のほうがもっとこう……華奢だったよ。勇斗は奥二重だけど、晴斗は二重だった。目もまん丸でな」
聞くんじゃなかったと後悔した。容姿を語っているだけなのに胸が痛い。見た目は勿論、性格もおそらく、捻くれた俺と違って岡本晴斗は素直で可愛げがあったのだろうなと勝手に傷付いて腹を立てている自分がいる。菅野がふいに俺の顔を覗き込んだ。
「当然だけど、お前とは全然似てねぇな」
改めて言われると余計気分が悪い。俺は露骨に機嫌を損ねた。
「んなこと、分かってますよ。むしろ一番憎むべき奴に似てるんですから」
「だけど今は、俺はお前が可愛くてしょうがねぇよ」
「……」
「今まで目を瞑ると浮かんでくるのは晴斗の無残な姿ばっかりで、気が狂うかと思った。長年生前の顔をまともに思い出したことがない。でも……野田に、晴斗が本当に俺を好きだったのか気になってたんじゃねぇのかと聞かれた時、そうかもしれないと思った。あの頃、俺は本当にあいつを好きだったし、あいつもそうだと信じてた。なのに二股かけられて、経緯も分からずに死なれて、俺のあいつに対する想いはずっと宙ぶらりんだったんだ」
菅野は、「はあ」と息を吐いた後、天井を見上げた。
「手紙を読んで、バラバラだったピースが全部、はまった気がした。なんであいつが浮気したのか、なんで死んだのか、それでも俺の晴斗を好きだった気持ちは無駄じゃなかった。……って思ったらよ、今度は犯人の顔がどんなんだったか、思い出せなくなった」
「……なんすか、それ」
饒舌に喋る菅野は、これまで見たこともない穏やかな顔つきだった。今にも破裂しそうだった風船が割れずにしぼんだような、そんな感じだ。これは菅野がようやく長い苦しみから解放されたと受け取っていいのだろうか。その物柔らかな表情のままこちらを見て、
「お前、そんな可愛らしい顔してたっけな」
三十路前の男がそんなことを言われて赤面するなんて馬鹿げてる。こんな時の正しい反応が分からない。スーツのポケットから菅野が取り出したのは、岡本晴斗の手紙である。菅野はニヤ、と右側の口角を上げると、その手紙をいきなり盛大に破いた。
「ちょっ、あんた! せっかく俺が苦労して手に入れた証拠物件を!」
「内容は確認済みだ。もう必要ない」
細かく、細かく千切り、片手の平にちょっとした塵の山となった手紙を、今度は窓からばら撒いた。
「不法投棄っすよ」
「ふん、カタいこと言うな。見ろ、雪に紛れて分かんねぇだろ」
いつから降っていたのか、積もるほどでもない気まぐれに舞っている灰雪に交じって、粉々になった岡本晴斗の手紙は風に乗ってどこかへ消えた。未練がましく窓にへばりついているのは俺のほうだった。菅野は俺のボストンバッグを肩に担ぎ、「出るぞ」とひとり先に病室を出て行った。
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せいぜい生意気な部下だったな、とか。
ようやく嫌な過去から解放されてやれやれだな、とか。
それでもまあ、最期は上司を庇って殉職したんだから立派なもんだ、くらいは思ってくれるだろうか。
二階級特進しても菅野と同じ警部か。死んでもあいつの上には行けないらしい。
……その前に、勤務時間外に起きたことだから殉職ではないのか。
――クソ。こんなことなら、全部打ち明けていれば良かった。
やたら白い無機質な天井と、点滴。薬品の匂い。現実味のある光景に、そこが天国でも地獄でもないこの世なのだと理解した。ゆっくり首を回して隣に座っている人物の顔を確かめる。
「うっ、うっ、野田さぁん」
「島村かよ」
ガッカリ感が半端じゃない。鼻水を垂らして泣きべそをかいている島村は、見ているだけでどっと疲れが出るほど嘆かわしい。
「……今、何時」
「夕方の六時です。丸一日、眠ってました」
「一日か」
「出血はひどかったんですけど、ギリギリ内臓をかわしてたんでそれほど大事には至らなかったようで。それより過労ですって。一週間も休んでたのになんで疲れてんすか」
「てめぇ先輩を馬鹿にするのか」
「ちちち違いますよっ」
笑ったら脇腹に響いた。
「ついさっきまで、野田さんのご両親がいらしてたんですよ。お母さん面白いですね。『も~、この子ったらこんな時まで眠りこけて、どこまでも寝坊助なんだから』って言って帰って行きました」
ティッシュペーパーで鼻をかんだ島村は、目尻に少しだけ涙を残したまま笑った。
「目が覚めて良かったです。野田さんがいなくなったらと思うと僕、心細くて」
「……お前が言うな」
「え? なんですか?」
「なんでもない。……岡本勇斗って男は連行されたの?」
「はい。菅野さんから連絡を受けて現場に行った時にちょうど救急車が到着して、僕は菅野さんに頼まれて野田さんに付添い、岡本は菅野さんが自分で署に連れて行きました。聴取も菅野さんがして、留置場に入れてはいるんですが……」
「が?」
「野田さんが目を覚ましたら『どうしたい?』って聞いてくれって」
「釈放して」
「送検しないんですか」
勇斗がここまで来てしまったのは、俺のあとをつけたからだ。俺が岡本家を訪れたことで勇斗を少なからず刺激したのは事実。多少の責任は感じるし、何より一番気の毒なのは両親である。既に連絡はしてあるだろうから、かなりショックを受けているに違いない。俺を刺した時の勇斗は興奮状態にあったし、冷静を取り戻した今は起訴より傷付いた両親の姿を見せるのが一番良い薬になるはずだ。
「菅野さんも分かってると思うから」
「分かりました。伝えておきます」
「菅野さんは……」
「最近、忙しいみたいで。野田さんが目を覚ましたら連絡しろと言われたくらいです」
ということは、来ないのだろう。別に来て欲しいわけではないが、所詮その程度かと改めて悟ると、やはり自分の気持ちは心の奥にしまったまま離れるのが良い。
「島村ぁ、頑張って警部くらいにはなれよ」
「なんです、いきなり」
「俺も警部補くらい、なっとけばよかったなぁ」
それから一週間ほど入院したが、やはり菅野は一度も来なかった。病室に訪れたのは島村と大沢さん、なぜかバーのマスター。マスターは最近、俺と菅野が店に現れないのを寂しく思ったらしく、菅野に連絡を取ったところ俺が入院していると聞いた、とのことだ。プライベートでも胡散臭い笑顔だが、なんだかんだでマスターには地味に世話になっている。退院したらまた店に寄ると言ったら、菅野と二人で来てね、なんて能天気なことを言っていた。
あと、驚いたのは岡本晴斗の両親がわざわざ京都から来てくれたことだ。
土下座する勢いで謝罪されて、思わずこっちがベッドから下りて膝をつきそうになった。済まなかったと涙を流す姿は本当に痛ましかったが、別れ際は「やっと家族が立ち直る機会ができた」と笑ったので、俺が刺されたのも無駄ではなさそうだ。
「忘れ物ないの? 洗濯物はこれで全部?」
退院の日も朝から現れたのは母親である。体力回復のためにここぞとばかりにダラけたおかげで傷の治りも順調で貧血も見られない。……にも関わらず、体が怠くて仕方がない。せっせと病室の掃除をしている母親の傍らで、俺は名残惜しくベッドに横たわっていた。
「ちょっと瑞樹、もう良くなったんだからシャキッとしなさい、シャキッと!」
「ギリギリまでダラダラさせてくれよ」
「もー、わたし、いつまで息子の面倒見なきゃいけないのかしら。早くお嫁さんもらってちょうだい」
それは無理な頼みである。
「そのことなんだけどさ……」
「えっ! なになに!?」
目を輝かせて食い付いてくる母親の顔には「彼女を紹介してくれるの?」と書かれている。期待が重すぎて話す気が失せた。
「彼女はいないから」
「なーんだ」
「だけど、近々話すよ」
「何を?」
「ヒミツ」
母親は「気持ち悪っ」と身震いしながら花瓶を取り、病室の扉を開けた。直後に大きな影に覆われた母親は、喉を反らせて見上げた。
「あらっ、男前。どちら様でしょう?」
不審に思い、体を起こしてその正体を確認した。
「申し遅れました。野田くんと一緒に働かせていただいております、北署の菅野と申します」
「まあ~、息子がいつもお世話になっておりますぅ」
「菅野さん!?」
菅野は病室を見渡し、「今から退院するのか」と鼻をかいた。おもむろに熨斗袋を差し出されて躊躇したら、「肉を食って体力つけ直せ」と菅野らしい言葉を加えられた。「ありがとうございます」と先に頭を下げたのは母親だった。
「少し彼をお借りしてもよろしいでしょうか」
「ええ、どうぞいくらでも。じゃ、瑞樹、先に帰るわね。では失礼します~」
賑やかに母親が病室を出ていくと俺と菅野だけが残され、途端に緊張で体が強張る。ベッドを軋ませて腰を下ろす菅野に肩を窄めた。座ると目線の位置が変わらない。俺を見つめる菅野の目は心情を悟らせないのに、俺はまるで落ち着きがない。ほんの一瞬目を逸らした隙に腕を引かれ、危うく唇が重なりそうになったのを、顔を背けて拒んだ。
「見られたらまずい」
「構わんだろう。今は二人だ」
「……菅野さんとはもうしません」
それでも強引にキスされる。むやみに押し付けられて息苦しさに口を開く。「もうしない」と言いながら簡単に許してしまう俺は、なんて意志の弱い人間だ。体を離すと俺の複雑な心中など見向きもせずに「上司」に戻った。
「いつまでもゴロゴロしてねぇで、さっさと戻ってこい。仕事が山積みなんだよ」
「島村がいるでしょう。あいつ、どんくさいけどコツコツ片付けますから任せときゃ大丈夫です」
「戻らねぇみたいな言い方すんな」
「……岡本勇斗はどうなりましたか」
「京都に戻った。お前をつければ俺に会えると思ったらしい。俺と晴斗の関係を直接確かめたかったんだと。刃物は脅すために持っていただけで、刺すつもりはなかったらしい。俺の顔を見た途端に頭に血が昇ったんだろ」
「再犯はないですかね」
「ねぇだろ。刺すつもりがなくても刃物を人に向けた時点で犯罪だと言ったら、そんだけでションボリしやがった」
普段なら分かり切っていることでも、ほんの少し我を失っただけでそんな簡単なことも考えつかなくなる。理性というのは本当に脆弱なものである。
「……勇斗は晴斗さんに似てるんですか?」
「面影はあるけどな。あんま似てねぇわ。晴斗のほうがもっとこう……華奢だったよ。勇斗は奥二重だけど、晴斗は二重だった。目もまん丸でな」
聞くんじゃなかったと後悔した。容姿を語っているだけなのに胸が痛い。見た目は勿論、性格もおそらく、捻くれた俺と違って岡本晴斗は素直で可愛げがあったのだろうなと勝手に傷付いて腹を立てている自分がいる。菅野がふいに俺の顔を覗き込んだ。
「当然だけど、お前とは全然似てねぇな」
改めて言われると余計気分が悪い。俺は露骨に機嫌を損ねた。
「んなこと、分かってますよ。むしろ一番憎むべき奴に似てるんですから」
「だけど今は、俺はお前が可愛くてしょうがねぇよ」
「……」
「今まで目を瞑ると浮かんでくるのは晴斗の無残な姿ばっかりで、気が狂うかと思った。長年生前の顔をまともに思い出したことがない。でも……野田に、晴斗が本当に俺を好きだったのか気になってたんじゃねぇのかと聞かれた時、そうかもしれないと思った。あの頃、俺は本当にあいつを好きだったし、あいつもそうだと信じてた。なのに二股かけられて、経緯も分からずに死なれて、俺のあいつに対する想いはずっと宙ぶらりんだったんだ」
菅野は、「はあ」と息を吐いた後、天井を見上げた。
「手紙を読んで、バラバラだったピースが全部、はまった気がした。なんであいつが浮気したのか、なんで死んだのか、それでも俺の晴斗を好きだった気持ちは無駄じゃなかった。……って思ったらよ、今度は犯人の顔がどんなんだったか、思い出せなくなった」
「……なんすか、それ」
饒舌に喋る菅野は、これまで見たこともない穏やかな顔つきだった。今にも破裂しそうだった風船が割れずにしぼんだような、そんな感じだ。これは菅野がようやく長い苦しみから解放されたと受け取っていいのだろうか。その物柔らかな表情のままこちらを見て、
「お前、そんな可愛らしい顔してたっけな」
三十路前の男がそんなことを言われて赤面するなんて馬鹿げてる。こんな時の正しい反応が分からない。スーツのポケットから菅野が取り出したのは、岡本晴斗の手紙である。菅野はニヤ、と右側の口角を上げると、その手紙をいきなり盛大に破いた。
「ちょっ、あんた! せっかく俺が苦労して手に入れた証拠物件を!」
「内容は確認済みだ。もう必要ない」
細かく、細かく千切り、片手の平にちょっとした塵の山となった手紙を、今度は窓からばら撒いた。
「不法投棄っすよ」
「ふん、カタいこと言うな。見ろ、雪に紛れて分かんねぇだろ」
いつから降っていたのか、積もるほどでもない気まぐれに舞っている灰雪に交じって、粉々になった岡本晴斗の手紙は風に乗ってどこかへ消えた。未練がましく窓にへばりついているのは俺のほうだった。菅野は俺のボストンバッグを肩に担ぎ、「出るぞ」とひとり先に病室を出て行った。
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- Posted in: ★GUILTY‐ギルティ‐
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