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 次の日、俺は着替えを済ませるなり麻生に勝負を申し込んだ。

「なあ、50メートルでやろうぜ」

「いつもそれで負けてるくせに」

「今日は調子がいいんだ。どう、やる? 俺が負けたらなんかひとつ言うこと聞いてやってもいいぜ」

 勝負をする前から鬼の首を取ったように態度のでかい俺を、麻生は面白いと言わんばかりに口角を上げた。

「後悔すんなよ」

 飛び込み台に並び、ストップウォッチを持った佐藤が合図をする。

「位置について」

 そして構えた時、俺は麻生にだけ聞こえるよう小さな声で、呟いた。

「昨日、見ちゃったんだけど。……麻生が、シテるとこ」

 ピッ、と力強く笛が鳴り、タイミングよく水の中に飛び込んだ。俺の思惑通り、麻生は少し遅れてスタートしたらしかった。
 かなり卑劣だけど、今日は勝てるかもしれない……!

 俺は必死に手と足を回した。聞こえてくるのは自分の呼吸と水の音。無我夢中だからか、いつもより速い気がする。ターンをして、あと半分だと一瞬だけ油断したのが悪かった。水中で麻生が追い上げてくるのが見えた。

 ――まずい、抜かれる!

 途端に精神が乱れて焦りばかりが先走る。上手く泳げていないのが自分でも分かった。

 ―—嘘だ、汚い真似をしてまで負けるなんて!

 壁に手をついて、大袈裟に呼吸を乱しながら水から顔を出した。

「在原が28秒23、麻生が26秒41!」

「そんな……」

 これまでのタイムより落ちてる上に、麻生は自己最高記録を叩きだして、俺は玉砕した。
 けれども落ち込む暇もなく、麻生はキッと俺を睨み付けると、ものすごい剣幕で「ちょっと来いよ」と俺を顎で呼んだ。水浸しのまま更衣室に連れ込まれ、扉を閉めると肩を掴まれて壁に押し付けられた。麻生の影が俺を丸ごと覆っている。目の前に迫る分厚い体と息遣い、刺すような鋭い眼に恐怖を覚えた。

「お前、何を見たって?」

「ご、ごめ……ごめん、嘘。誰にも言わない」

「何を見たんだよッ!」

 ダン!と耳の真横で麻生の拳が壁を叩く。完全に俺はビビッてしまって、足がガクガク震えた。

「麻生が……ひとりで……ここで、シゴいてる、とこ」

 わなわなと唇を震わせた麻生は、細い目を精一杯見開いて俺を睨んでいた。すごい怒ってる。殴られるかもしれない。だけど、どこか泣きそうにも見えた。

「ごめん、見るつもりじゃ、なかったんだ」

「……なんでも言うこと聞くつったよな?」

「え……」

「お前もシテみろ。今、ここで俺に見せろ」

「なっ、だって今、部活中だし!」

「さっさとしろよ」

 なかば自棄にも見える麻生は、ぐいっと俺の水着を膝まで下ろし、まだ自分以外の誰にも見せたことのない部分が露わになった。急に解放感と、見られているという羞恥で不覚にも反応をみせてしまった。

「俺は昨日、どうやってしてた?」

「ゆ、許して、ごめん」

「握れ」

 「ゆるして」と泣きながら、俺は麻生の前で、自分自身を握り締めた。「早く」と急かされ、ゆっくり手を動かす。恥ずかしくて格好悪くて死にそうなのに、めちゃくちゃ感じてしまっている。昨日、部屋でひとりでした時とは全然違う。

……麻生も……昨日、こんなんだった?

 あの悦楽した表情を思い出すと、一気に心拍数が上がって心臓が壊れそうだ。

「……そんなんじゃ中々イケないだろ」

 麻生は俺の手の上から一緒に握り、一気にシゴきだした。

「やぁああっ、やめて!」

「今、やめたほうが辛いと思うぜ」

「あっん……! だめ、いくっ、いくからぁっ、……――ッ」

 頭の中で花火が上がった。体が痺れる。震える。汗が、とまらない。ねっとりと溢れた熱。

 ――麻生に見られた……。

「しにたい……」

「俺も同じ気分だってこと、忘れんなよ」

 麻生は更衣室に俺を残したまま、出て行った。静かで蒸し暑い中で、腰を抜かしたまま動けない。今になって自分がどれだけ卑怯者なのかを、痛感した。

 ***

 午後から用事があるという連中が多くて、今日は部活後のコンビニはひとりで行くことになった。どうせ家に帰ってもすることないし。昨日食べられなかったイチゴ味のカップアイスを買った。店の外にあるベンチに座り、アイスを口に運ぶ。誰かと一緒なら美味いと思えるものも、ひとりだと侘びしくて味がしない。

 誰かいればいいのに。佐藤でも誰でもいいから。……麻生でも。

「怒ってるのかなぁ」

 なんて独り言を呟いた時、影が俺を覆った。

「怒ってはないけど、鍵当番をサボったことには腹立ってる」

 麻生だった。顔つきはムスッとしてるけど、声色はいつもと変わりはない。麻生は「溶けるぞ」と、俺が持っているアイスを指した。

「買ったのはいいけど、食べる気がしなくて」

「いらないんなら、もらうけど」

 スプーン舐めちゃってるけどいいのかな、と思いながら差し出した。隣に腰を下ろした麻生は、ちっちゃいプラスチックのスプーンで溢れるほどアイスをすくい、たった四、五口で平らげた。男らしい食べっぷりに思わず見入ってしまった。ちょっとした沈黙のあと、

「ごめん」

 と、口にしたのは同時だった。互いに目を丸くして凝視する。

「あ、ごめん。昼間、汚い真似して。……一度でいいから麻生に勝ちたかったんだ」

「別にいいけど。……在原はスロースターターなんだよ。だから50メートルじゃ駄目だ。100メートル200メートル泳げば、たぶん俺は負けると思うぜ」

 そうは言っても、目の前にある小麦色の逞しい腕を見れば、そもそも体つきが違うんだから勝てるわけないことくらい分かる。本当はずっと前から分かってたけど、認めたくなかっただけだ。

「……俺も悪かった。在原に昨日の見られたと思うと頭に血が昇っちゃって」

「うん、普通は昇ると思うよ」

「たぶん他の奴らだったら笑って誤魔化せたと思う。……ていうのも、在原のこと考えてやってたから、余計決まりが悪いというか」

「え」

「俺も小さい頃から水泳してたから今更誰の水着姿見たってなんとも思わないんだけど、在原のだけは違うというか……そんな時にお前がケツとか見せるからもう我慢できなくて」

 佐藤に水着を引っ張られた時のことだろう。

「なに俺のケツに欲情してんだよ」

「気持ち悪い?」

――気持ち悪く、はないな。驚きはしたけど、俺も人のこと言えない。だって、

「……俺も麻生のこと考えながらした……」

 麻生は驚いた表情を見せ、そっぽを向いて耳を赤くした。ちょっと可愛いとか思ってしまった俺もアブナイかもしれない。俺は普段、ひとりでする時のオカズは、本とかDVDとか、気になる子とか……、気になる子……。

「なんで俺だけは違うの?」

「分かんないのかよ」

 分かるけど、分からない。勝手に決め付けたら自惚れてるみたいじゃないか。
 見上げたら青い空にふわふわの雲が浮かんでいた。夏の雲って美味しそうだな、なんて呑気なことを考えたら視界が遮られて、唇に柔らかい感触があった。あったかくて気持ち良くて、ぎこちなかった。

「なんで?」とか、もういいや。そのうち分かるだろう。たぶん、夏が終わる頃には。

初めてしたキスは、食べても分からなかったはずのイチゴの味がした。


FIN

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