archive: 2022年08月 1/1
第二部 2-8
*** 昼食の時間が終わった頃、俺と理沙は親父の病室を訪れた。昼食が運ばれてもう一時間は経つはずなのに親父はひと口も手を付けておらず、ぼんやりとした目でテレビを見ていた。鼻に繋がっている酸素ボンベのチューブが痛々しい。「……食べないと治るものも治らないよ」 そう声を掛けるとハッとしてこちらを見た。「昇」 俺の後から理沙が「わたしもいるよ!」と顔を出す。親父は嬉しそうに歯を出して笑った。親父のこんな顔...
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第二部 2-7
ぐっすり寝ている親父を起こしたくなくて、暫く寝顔を見たあと会話をせずに病室を出た。看護師に親父が起きたら俺が来ていたことだけ伝えてくれと残して。 病院の外はもう真っ暗で、冷たい風が枯葉を巻き込みながら吹いている。いつの間に冬になったんだっけ。夏が終わった辺りからの記憶が曖昧だ。遠くの空で星が小さく光っている。それをボーッと見ているうちに山木さんに連絡しなければと思い出し、スマートフォンを開いた。...
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第二部 2-6
がむしゃらに仕事と勉強に打ち込んだ。何かに集中している時は余計なことを考えなくて済むから。それでもふと、今の仕事があるのは大智が紹介してくれたからだということを思い出しては手が止まる。大智を振っておいて自分だけのうのうと大智の厚意に甘えたままでいいのかと。その度に辞めてしまおうかという衝動にかられることもあるけれど、このまま仕事を続けていくことが俺なりの誠意なのだと思い込むしかなかった。仕事、勉...
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第二部 2-5
*** 大智が俺のことを恋愛の意味で好きなのだと知った時、嫌ではなかった。大川さんを傷付けたことへの怒りが頭の大半を占めていたから、冷静に判断できなかったんだと思う。もしあんな形で知るのではなくて、大智の口から直接告白されていたら、俺だって大智にひどい言葉を言わずに済んだかもしれない。今まで、何度もそんなことを考えた。――いや、どちらにしろ傷付けたか。 もし、あのまま俺と大川さんが付き合っていた...
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第二部 2-4
「そっか。やっぱり、そうなっちゃったか」 親父の様子を見に帰ると言って一時帰省した理沙を、駅まで迎えに行った。その帰りに喫茶店に誘った。親父がいるところでは話せない大智との一件を、理沙に話したかったからだ。いちいちオーバーリアクションの理沙のことだ。あれこれ無遠慮に聞かれると思っていたが、意外にも理沙は冷静に話を聞いていて、まるですべてを見越していたかのような反応だった。「やっぱりって?」「大ちゃ...
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第二部 2-3
「渡辺先生!」 耳元で生徒に大きな声で呼ばれた。現実に頭が追いつかずに固まった。一瞬だけ意識がどこかに飛んでいた。「ご、ごめん。もう一回言ってくれる?」「ここ、次どうやって動かすの?」 生徒の進捗を真横で見ていながら何も頭に入っていなかった。幸い子どもには気付かれなかったが、傍で見ていた山木さんは違った。授業が終わってから、どうして仕事中にぼんやりしていたのかと注意を受けた。「親父の看病がしんどく...
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第二部 2-2
あれだけ厳しかった残暑も、十月後半になるとようやく落ち着いた。朝と晩の空気がひんやり冷たく、じきに冬が来ると思えば不思議と夏の暑さが恋しくなった。 プログラミング教室は無事開校し、俺は小学校低学年のクラスを任されるようになった。子どもの相手はあまり得意ではないので不安もあったが、コミュニケーション面では子どもたちに助けられることが多かった。もともと学校と違って「学びたい」という意欲があって通う子...
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第二部 2-1
研修と自宅での勉強に追われてずっとできなかった掃除を、日曜日にやっと終わらせた。大量のごみ袋と雑誌をまとめ、掃除機をかけたあとは買い物に出掛ける。ストックの切れた日用品や一週間分の食材を買っておくのだ。外に出ると快晴の空から太陽が照り付けた。十月だというのに気温はまだまだ真夏のようだ。 親父が入院して一人の時間が増えてから自炊をすることが増えた。凝った料理はできないが、レシピ本を見ながらであれば...
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第二部 1-7
なんとなく気まずくて大智を避けていたら、なんでもない土曜日に大智が家を訪ねて来た。夏休みは終わったばかりなのに、わざわざ里帰りしたのかと思うとかえって申し訳なくなった。大智は眉間に皺を寄せて思い詰めたような表情で「ごめん」と開口一番に言った。「本当にごめん。せっかく俺のために予約してくれてたのに、すっぽかして……。何も連絡しなくて……」「あ、ああ、うん、……いや、別に……いいよ……」 いつもの俺なら「まっ...
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